寛楽堂
 庄内藩の下級武士であった加藤正寛は、明治元年、戊申戦争で敗北した責任により、東京での謹慎を命じられた庄内藩主・酒井忠篤に随伴して上京し た。
横浜の写真館に立ち寄った正寛は、たちまち写真のとりこになった。庄内に戻った明治4年、間借りしていた柳務寺において、希望者の写真を趣味で撮 るようになった。
それが評判となり、明治6年、長山小路(今の鳥居町)に写真館を開業した。

於 茂登 當四拾弐歳 明治十二年四月十一日  於 長山小路写之
 

明治九年於鶴岡写之 四拾七歳
59×90(64×106)mm